感じて、考えて。

やたら考えやたら書きます。

優しさとは(過去日記より)

過去の日記を読んでいたら、良作が見つかってしまった。というわけでブログ掲載。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

宇宙兄弟最新刊を読んだ。

(宇宙飛行士の兄弟ムッタと日々人の話)

 

宇宙兄弟(37) (モーニング KC)

宇宙兄弟(37) (モーニング KC)

  • 作者:小山 宙哉
  • 発売日: 2020/02/21
  • メディア: コミック
 

 

そのなかで一番響いた言葉がある。

「優しさに気づくことも、また優しさ」

 

今まで、ポルノの2012sparkの歌詞にある

「優しくなりたければ強くあれ」

を頼りにしてきた。私は、周囲の人にとても恵まれた。嫌なことを言われるときもあったけれど、皆私のような人間を受容してくれた。私もそれを返したい。優しくなりたい。そのためには強くいないといけない。そう思っていた。そうやって虚勢を張り続け、傷ついた。歌詞を誤認していたのだ。

(参考までに)

https://youtu.be/ISZLFkceUhY

 

 

しかし、今日読んだ『宇宙兄弟』。ムッタが自転車のライトが壊れた日々人の足元を自らのライトで照らし、それに気づいた日々人は速度をゆるめた。それを見た二人の父は前述の言葉を述べ、二人なら月のミッションを果たせると背中を押した。

 

読んでいて、涙が零れた。「優しくなるためには」と考えること自体が、優しさなのだ。確かに私はたくさんの人に甘えてわがままを言ってきた。しかし、そこまで嫌われているようには感じない。恐らく、私は自身のわがままを理解して、その上で感謝と謝罪は欠かしていないからだ。

 

優しくされたからと言って何か返さないと、と慌てるのではなく、感謝と謝罪を重んじたい。それがまさに、優しさのお返しなのだから。そうやって素直になることが、強さの秘訣なのかもしれない。そう思わせてくれた宇宙兄弟には、感謝してもしきれない。

 

そして、ポルノグラフィティの歌詞に出会っていないと、私は優しさについて突き詰めることもなかったし、宇宙兄弟によって誤認だと知ることもなかった。ポルノグラフィティは常に私の根幹にあると再確認した。

誕生日

本日、古元素は誕生日を迎えました。私の誕生日は基本「春分の日」。この日を境に、日に日に昼が長くなります。心地の良い春の訪れを告げる日に生まれたと思うと、私の心は温かくなります。

 

そして今回、大きなテーマを「誕生日」として、2つの内容を書きました。「にじゅういっさい」と「人を好きになること」です。かなり長くなりましたが、読んでいただけるとうれしいです。

 

にじゅういっさい

「にじゅういっさい」になった。

 

と同時に、「はたち」と三文字で終わる、人生で1年間しかない特別な期間が終わった。これから先一生、年齢を言うときはただの数字の羅列。私はそれが苦痛だった。0時が訪れ魔法が解けるシンデレラのような気持ちになった。誕生月になると気分が上がる性分ゆえ、こんなことは人生で初めてだった。

 

 

しかし、0時を迎え「魔法が解けた」瞬間、たくさんの人からのお祝いメッセージが目に飛び込んできた。うれしさのあまり、私の脳に貯蔵されているはずの語彙が全て飛んだ。おかげでその時間帯のメッセージへの返信は、だいぶおかしくなった気がする。

 

これを通し、たくさんの人の愛情を感じた。これからも日々、楽しく生きていきたい。そう強く思った。

 

祝ってくれた皆さん、本当にありがとうございます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人を好きになること

朝から郵便物が届いた。大親友からのものだ。その中には手紙が入っていた。彼女は理系で、文章を書くことを得意とはしない。そんな彼女からの手紙にとてもうれしく思い、うきうきしながら読んだ。

 

愛のこもった文章だった。しかし、こんな言葉が書かれていた。
「あなたからの愛をきちんと返せているか心配です。返せるよう精進したいと思います。」

私は、恋愛感情のみならず、人を好きになることが苦痛だ。私は、元来持つオタク気質も相まって、好きになったものへの想いが過度に強い。そのため、それを相手に「押し付ける」形になってしまうと考えるからだ。つまり、重いのだ。

 

そうやって、何かに対し「迷惑になるから好きになってはいけない」と苛まれるたびに、好きになることはいいことだ。自分ばかり好きな場合は、相手から返ってこないからだ。そして相手から十分返ってきているではないか。などと言い聞かせている。友人にも、何かを好きになると重くなるのは当然だと助言をもらった。

 

しかし今回、大親友からそう言われた。私が盲目で、相手からの愛情を気づけていないからかと不安になる。だが、私は人がしてくれたことにより大きく感情が動く。よってそれはない。

 

それなら、どうしてこうなるのだろう。これは私の一生のテーマかもしれない。この先生きていくなかで、色んな「メンター」に出会い、解決していけるはずだ。未来は良い意味で見えない。

 

現時点で彼女に、そして皆に言えることはひとつ。

「私の愛を、いつも受け止め、返してくれているよ。ありがとう。」

地元に別れを告げる

 

父の仕事の都合により、市内への引越が決まった。今後父が転勤になっても、私はもう社会人だからここに戻ることはない。

 

引越先は偶然にも大学そば。今まで往復3~4時間ほどだった通学時間が嘘のように短くなる。中心市街地に近いから遅くまで飲めるし、市内の行きたいお店や書店巡りなど、たくさん遊べる。良いことだらけだ。

 

しかし、父の転勤で市内から越して14年住んだここは、もはや地元である。上記で強がったが、やはり寂しい。

 

14年前、小学生だった私は、全く知らない土地であるここに行くことを拒んだ。引っ越すまでは、学校でも家でも泣き続けた。引っ越した後も、教科書に新しい小学校の名前が書かれていることが嫌で、上から前の小学校の名前を書くほどだ。

 

14年経った今、ここは大事な地元である。市内から帰り、地元に来た人は皆気分を害するようだが、駅そばの工事の匂いを嗅ぐと落ち着く。その匂いで、地元に帰ってきたと入学当時は思えたほどだ。

 

よく周囲の人に言われるのだが、私の地元の人間は個性的な人が多いそうだ。その最たる例が私のような気もするが。そんな私が育ったところを見たい、という大学の友人までいる。

 

長かったここでの生活だが、やり残したことがたくさんだ。行きたいお店に行けていないし、全国花火大会も現地に赴いたことはない。今年の花見ランニングもしていないし、そもそもまた桜が咲いていない。少なくとも花火大会以外は、今いるうちに叶えたい。

 

だが引越準備も進めないといけないし、もちろん就活だってある。時間はない。残された時間を有効に使い、ここに別れを告げたい。

 

写真は、個人的に地元を代表するものを厳選して載せさせていただいた。


f:id:vintagelementl:20200314210547j:image


f:id:vintagelementl:20200314210621j:image


f:id:vintagelementl:20200314210653j:image

 

大学受験

 

はじめに

今回はいつもと違う感じでお届けします。まず敬語な時点で違う(笑)

というのも、就活におけるESを書いていて、「困難に打ち勝った経験」を書く欄と出会ったんですよね。そこで、大学受験について思い出したわけです。

 

以下は、当時の私が自分の高校に要請されて執筆した合格体験記です。三年前の私に、いつもの私のノリで、赤文字にて突っ込みを入れてみました。楽しく、そして古元素ちゃっかり努力家だな、などと思いながら読んでいただければと思います。

合格体験記

タイトル:がけっぷち(本当にがけっぷちだった。浪人できなかったし) 

 

1 志望動機・進路決定・進路実現の方法など

私は第一志望校に推薦で落ちたうえ、センター試験の点数が思うように取れず、受験できる学校が限られている状態でした。(泣きっ面に蜂とはこのこと)そこで、(他の学部を受けろという担任や両親を押し切り)自分は英語が好きだということと、高校の英語の先生方に憧れを抱いていた部分から英語の教師を志し、この大学の受験を決意しました。(今とは大違い。。教職一年でやめてごめんな当時の私。。。)判定はE寄りのD判定の「がけっぷち」の状態(今までの模試だとB寄りのCとかだったんだよ。。ちなみにこの学科を受験の視野に入れたのは推薦落ちてからという。。受験は何があるかわからない。。)でしたが、私の3年間の努力は決して裏切らないと信じてこの大学を受験しました。(周囲に、本当にEで受かる人いるんだって言われた(笑))

2 各教科の学習法について

注意:私は英語しか出来ないので、英語の勉強法について書きます。

(英語と国語が得意だったが、国語はセンターで普段の点数-50を叩き出した。。英語も同程度の失敗だったが、国語へのショックは大きすぎた。。)

 授業集中

  授業中に出てきた文章で単語や構文を覚えられて、予習や復習で定着します。

 単語暗記

 自分で購入した単語帳や、様々な場面で登場したわからない単語や構文を書いたノートを、スキマ時間に読んでいました。(最初「暇な時間」って書いてた。いや暇な時間とかなかったわ(笑))

    過去問演習

 11年分の過去問の前期の問題を2.5周、後期の問題を1周解きました。過去問は「一度出た問題」と見なされがちですが、それを解くことで傾向がつかめます。正答具合によって勉強の励みにもなります。

   問題演習

 進研ゼミから毎月届く2種類の問題集と自分で購入した英作文の問題集を3周、授業で使用したプリント集を授業復習兼ねて1周解きました。問題集は様々なものに手を付けるよりも、これと絞ったものを何周も解くことが大事です。また、英作文は自分で採点できないので先生方に添削をお願いしましょう。(採点や添削に関しては過信はよくない。毎日添削してもらってたから今でも先生と添削用机で話してると懐かしがられる(笑))

3 模試・実力考査・定期考査への取り組みと活用方法

定期考査はしっかりと取り組みましょう。そこで基本的な知識を蓄えられ、後にセンター試験対策にも繋がります。実力考査や模試は、時間はかかりますがやり直しが大事です。私はわからなかった問題をノートにまとめ(この作業で容易に一日つぶれませんか?私はつぶれてました)、暇な時(いやいつ暇だった???スキマな。)や模試直前に眺めていました。

4 お薦めの参考書・問題集

・教科書や資料集

・解いてきた模試

・体系英作文(教学社)(これ旧帝大専用英作文問題集。超難しかった。東大京大のとかちんぷんかんぷんだった)

5 入試(センター試験、個別試験、推薦など)に対する所感

 私は夏まで二次試験の対策ばかりしていて(進学校だったし。。ちなみに自分の母校のこと自称進学校とか言う人嫌い。自分の努力不足でその高校選んだくせに何言ってんだって思う)、さらに推薦入試の対策にも時間を取られました。それゆえセンター試験の対策が遅れ、第一志望の学校を受験できる点数を取れませんでした。難関大を目指す人以外は、センター試験までは二次試験の対策は授業時間くらいにして、自宅ではセンター試験の対策に重きを置くべきです。また、センター試験では緊張して問題が普段通り解けません。(センターには魔物が潜んでいるとかよく言うけど、本当にいるよこれは断言できる)直前は周囲の人と話すなどして、リラックスして臨みましょう。ちなみに勉強をすればするほど緊張は消え自信となり、私の場合、前期本番では勉強の成果を発揮できる時だとわくわくしていました。(これはほんと。)

6 大学の印象(大学生活への期待)

県内各地をボランティアなどで訪れる機会が設けられていて、熊本大好きな私にはとても好感が持てました。(ボラほぼ行ってねえわ)また、私の学科は少数制で、各々の英語能力に応じてきめ細かい指導をする環境が整っています。(他大学に行ってる友達によく、なんでそんなに先生と話すのと恐れられています)留学制度も充実していて、私も夏休みに短期留学をしたいと考えています。(春休みに行ったわ。。留学制度うちの大学残念なとこあった。。ほぼ自費。。三万返ってきただけ御の字か)

 

ここまで読むと、受験生活はきつく苦しいものだと感じると思います。しかし、受験勉強を通してこれまであまり話さなかった人と仲良くなれるし(これは私本来のコミュ力なのかはさておき)、体育祭を全力で作り上げることも出来ます。さらに、勉強に全力で打ち込むことは人生でこれが最初で最後です。(これは嘘やな。人生は一生勉強だと思う。)後から考えると良い思い出だったと思えるはずです。(本当にそう。良い思い出。)皆さんも楽しみを見つけて、どんなことがあっても諦めずに勉強してください。私も陰ながら応援しています。

 

おわりに

載せられないほどの駄文は修正したけど、ほぼ原文ママです。へたくそですね。それだけ人間は文章力向上するよということもわかってもらえたらと思います。文章は結局「脳内思考の翻訳」なので、上手下手よりも脳内思考をしているか否かが物を言う気がします。当時の私は物事に関して無頓着なところがあって、それが顕著に表れていますね。。その部分は私の弱みだと思っていたので、変えることができて何よりです。。

 

ちなみに高校の先生に合格報告に行くと、担任に「奇跡の逆転合格おめでとう」と言われました。我ながら本当によくやった。就活もこの調子で頑張っていこう。。

 

最後に、大学入試の際に用いていたノートの写真を添付しますね。これは、先生方や友人に言われたことをつぶさにノートに書きこみ、それを用いて日々勉強していたというものです。これを見るたびに胸が熱くなりますね。。

 
f:id:vintagelementl:20200305141757j:image

 

 訳で漢字ミスをしないって。。私どんだけよ。。

 

 

 

新聞からのギフト

熊本県内もついに、

新型肺炎感染者が確認された。

 

来月から本格化する就職活動に、

多くの影響を及ぼすことは間違いない。

もし自分が感染したら、

大学四年間を通して行った就職活動

インターンや自己分析等)が

全て水の泡になってしまう。

そう考えるだけで、怖くてたまらなかった。

しかし翌朝、その恐怖は消えた。

 

このニュースが報じられたのは昨晩遅く。

しかし翌朝、通常通り届けられていた

熊日新聞朝刊の1面を飾った言葉は

新型肺炎 県内初確認」

 

これには驚いた。

きっとその時間帯であれば、

紙面のレイアウトは決まっていたはずだ。

しかしこの速報により、記者の方はすぐ、

1面の記事を執筆したのだろう。

そして印刷所に行き、何事もなく、

私たち購読者の元に届けられたのだ。

 

新聞は我々に多数の真実を伝えつつ、

コラムや社説を通し自社の意見を述べる。

(池上曰く、新聞朝刊1つに於ける文字数は、

新書本約2冊分に相当するそうだ。

新聞の情報量は測り知れない。)

 

池上彰の新聞活用術

池上彰の新聞活用術

 

そして投稿欄において、

購読者同士の繋がりや考え方を共有し合う。

そういうものだと思っていた。

 

しかし、それだけではない。

新聞は我々に「当たり前」を与えることで

人々に「安心」と「勇気」をもたらすのだ。

考えてみれば、熊本地震の際もそうだ。

震災後、新聞は一日も休むことなく届いた。

これを受けてどれだけの方が

「安心」し、「勇気」が出たことか。

 

これらを踏まえて、

昨晩までの私の恐怖は消えた。

新聞社のたくさんの方々の尽力により、

私に「当たり前」と「安心」と「勇気」をくれた。

私もいつか、与えられる側のみならず、

それらを与える側になりたい。

それを強く再確認することが出来た。

 

 

 

 

 

図書館は合コン

図書館を歩く時間が好きだ。

それぞれ個性を持つ本に出会い、

「運命の一冊」(もしくは数冊)を

持ち帰ることができるから。

 

これは、合コンと同じではないか。

色んな方に出会い、お気に召した方を、

(言葉を選ばずに言うと)

お持ち帰りすることができるから。

そんなことを考えながら、

私は今日も図書館を巡る。

かなりの時間を要するが、

じっくりと本を眺め、

その日の「運命の本」を選ぶ。

 

最近は、本の読み方について、

様々な解釈がある。

時間のない方のための「速読」や

じっくり本を読むべきだとする「遅読」など。

その中で、私が疑問に感じた本の読み方は、

「あらかじめ読みたい本を定めて、

それらしか読まないようにする」

読み方だ。

 

私も試したことがある。

書評雑誌『ダ・ヴィンチ』や

「王様のブランチ」書評コーナーを見て、

気になっていた本のみを借りた。

確かに効率的ではある。

しかし、図書館にはたくさんの本がある。

この方法は、それらを無視するように

思えてならない。

 

幼稚園の頃、ふらりと図書館を歩き、

好きになった絵本がある。

 

おおきな木

おおきな木

 

母親いわく、当時の私は、

毎日この本を借りていたらしい。

先生や友達など、誰の情報も得ず、

ただ私の直感で選んでいたのだろう。

この絵本はとても含みのある内容で、

以前、論文のテーマに用いるほどだ。

 

恋愛でもよく、

「相手にどれほど時間とお金をかけられるか」

が、重要とされる。

これは、本も同じとも言えよう。

金銭的に余裕のない今、

せめて、時間をかけて本を選び、

「運命の本」を見つけ、

「お持ち帰り」するもよいのではないか。

 

優しいおじさま

女性ならではのシリアスな問題、セクハラ。

年の離れた男性、

「おじさん」が怖いと話す女性は多い。

 

しかし、私は全くそう思わない。

そこで今回、

私の周りにいる「優しいおじさま」を

私の事件と共に話したい。

 

 

ラクションとおじさまと私

私が小学生の頃お世話になったおじさま。

当時、私は友人らと共に、

家の周辺でよく遊んでいた。

ある日、車に乗ったおじさんに、

大きなクラクションを鳴らされたのだ。

そのときは皆で震え上がった。

それから毎日その行動は続いた。

だが、またある日、

ふと、私は彼の顔を見た。

彼は微笑んでいたのだ。

ラクションは彼にとって、

あいさつ代わりだったのだ。

若干紛らわしいが

彼なりの優しさだったのだ。

それ以来私たちは、

彼のクラクションを聞くたび、

笑顔で挨拶をするようにした。

田んぼと自転車とおじさまと私

(タイトルの語呂の悪さには目をつぶっていただきたい)

これも小学校の頃の話である。

私は田んぼ沿いの道で、

自転車を走らせていた。

ふと忘れ物をしたかもしれないと、

愚かな私は後ろを向いた。

 

その瞬間だった。

視界から道が消えた。一瞬の出来事だった。

私は1mほど下の田んぼに落ち、

自転車の下敷きになっていたのだ。

自転車は当時の私にはとても重く、

持ち上げられなかった。

周囲には誰もおらず、

私はただ自転車によって痛む腹を

押さえながら立ち尽くした。

そこで声がした。

「あた大丈夫ね?!(熊本弁)」

見上げるとそこにはおじさまがいた。

彼は状況を一瞬にして判断し、

すぐに自転車を持ち上げてくれた。

彼には本当に、感謝してもしきれない。

田舎道と裸足とおじさまと私

これはお恥ずかしながら先月の話である。

小学校の同窓会に招かれた私は、久々のメンツと酒に泥酔してしまった。

私はなぜか、

靴や靴下を脱いで裸足になっていた。

真冬の田舎道でだ。

そこにおじさまが現れた。

「お姉さんなんで裸足で歩いとっとね?!

家はどこね!(熊本弁)」

おじさま、なぜ裸足かは、、

私も、、知りたい。。。

彼はどうやら、

私を家まで送り届けてくれたらしい。

こちらも感謝してもしきれない。

そして、泥酔はもう、

人生で二度としまいと誓った。当然だ。

(とかいって先週、また、泥酔した。

今度は家の布団までは意識がある。

だからと言って、であるが。)

まとめ

いかがだっただろうか。

優しいおじさまが世の中にもいるのだ。

彼らの近況をご存じの方は、

是非私までご一報いただければと思う。

(私のドジさには目をつぶっていただきたい)

おじさまも私たちと同じ人間である。

確かに、痴漢やストーカーの犯人は怖い。

(私も渡英した際出くわした

「おれが英語教えるから、日本語教えてくれ!」

とせがむおじさんにはさすがに恐れ慄いた。)

しかし私は、そうでない人間の方が

圧倒的多数だと信じている。

固定観念」にとらわれてはいけない。

優しいおじさまもたくさんいる。

そう思えば、

少しは怖くないのではなかろうか。

あとがき

インターン先の社員の方に、

このようなことを言われた。

「あなたのおじさんと話せる能力、

大事にすべきだよ。それ社会で役立つよ。」

 

私の周囲の話を聞いていると、

確かにこれは私の強みかもしれない

そう感じるようになった。

こうやって特殊能力にもなるようなので、

女性諸君、体得をお勧めしたい。