感じて、考えて。

やたら考えやたら書きます。

誕生日

本日、古元素は誕生日を迎えました。私の誕生日は基本「春分の日」。この日を境に、日に日に昼が長くなります。心地の良い春の訪れを告げる日に生まれたと思うと、私の心は温かくなります。

 

そして今回、大きなテーマを「誕生日」として、2つの内容を書きました。「にじゅういっさい」と「人を好きになること」です。かなり長くなりましたが、読んでいただけるとうれしいです。

 

にじゅういっさい

「にじゅういっさい」になった。

 

と同時に、「はたち」と三文字で終わる、人生で1年間しかない特別な期間が終わった。これから先一生、年齢を言うときはただの数字の羅列。私はそれが苦痛だった。0時が訪れ魔法が解けるシンデレラのような気持ちになった。誕生月になると気分が上がる性分ゆえ、こんなことは人生で初めてだった。

 

 

しかし、0時を迎え「魔法が解けた」瞬間、たくさんの人からのお祝いメッセージが目に飛び込んできた。うれしさのあまり、私の脳に貯蔵されているはずの語彙が全て飛んだ。おかげでその時間帯のメッセージへの返信は、だいぶおかしくなった気がする。

 

これを通し、たくさんの人の愛情を感じた。これからも日々、楽しく生きていきたい。そう強く思った。

 

祝ってくれた皆さん、本当にありがとうございます。

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人を好きになること

朝から郵便物が届いた。大親友からのものだ。その中には手紙が入っていた。彼女は理系で、文章を書くことを得意とはしない。そんな彼女からの手紙にとてもうれしく思い、うきうきしながら読んだ。

 

愛のこもった文章だった。しかし、こんな言葉が書かれていた。
「あなたからの愛をきちんと返せているか心配です。返せるよう精進したいと思います。」

私は、恋愛感情のみならず、人を好きになることが苦痛だ。私は、元来持つオタク気質も相まって、好きになったものへの想いが過度に強い。そのため、それを相手に「押し付ける」形になってしまうと考えるからだ。つまり、重いのだ。

 

そうやって、何かに対し「迷惑になるから好きになってはいけない」と苛まれるたびに、好きになることはいいことだ。自分ばかり好きな場合は、相手から返ってこないからだ。そして相手から十分返ってきているではないか。などと言い聞かせている。友人にも、何かを好きになると重くなるのは当然だと助言をもらった。

 

しかし今回、大親友からそう言われた。私が盲目で、相手からの愛情を気づけていないからかと不安になる。だが、私は人がしてくれたことにより大きく感情が動く。よってそれはない。

 

それなら、どうしてこうなるのだろう。これは私の一生のテーマかもしれない。この先生きていくなかで、色んな「メンター」に出会い、解決していけるはずだ。未来は良い意味で見えない。

 

現時点で彼女に、そして皆に言えることはひとつ。

「私の愛を、いつも受け止め、返してくれているよ。ありがとう。」