感じて、考えて。

やたら考えやたら書きます。

新聞からのギフト

熊本県内もついに、

新型肺炎感染者が確認された。

 

来月から本格化する就職活動に、

多くの影響を及ぼすことは間違いない。

もし自分が感染したら、

大学四年間を通して行った就職活動

インターンや自己分析等)が

全て水の泡になってしまう。

そう考えるだけで、怖くてたまらなかった。

しかし翌朝、その恐怖は消えた。

 

このニュースが報じられたのは昨晩遅く。

しかし翌朝、通常通り届けられていた

熊日新聞朝刊の1面を飾った言葉は

新型肺炎 県内初確認」

 

これには驚いた。

きっとその時間帯であれば、

紙面のレイアウトは決まっていたはずだ。

しかしこの速報により、記者の方はすぐ、

1面の記事を執筆したのだろう。

そして印刷所に行き、何事もなく、

私たち購読者の元に届けられたのだ。

 

新聞は我々に多数の真実を伝えつつ、

コラムや社説を通し自社の意見を述べる。

(池上曰く、新聞朝刊1つに於ける文字数は、

新書本約2冊分に相当するそうだ。

新聞の情報量は測り知れない。)

 

池上彰の新聞活用術

池上彰の新聞活用術

 

そして投稿欄において、

購読者同士の繋がりや考え方を共有し合う。

そういうものだと思っていた。

 

しかし、それだけではない。

新聞は我々に「当たり前」を与えることで

人々に「安心」と「勇気」をもたらすのだ。

考えてみれば、熊本地震の際もそうだ。

震災後、新聞は一日も休むことなく届いた。

これを受けてどれだけの方が

「安心」し、「勇気」が出たことか。

 

これらを踏まえて、

昨晩までの私の恐怖は消えた。

新聞社のたくさんの方々の尽力により、

私に「当たり前」と「安心」と「勇気」をくれた。

私もいつか、与えられる側のみならず、

それらを与える側になりたい。

それを強く再確認することが出来た。