優しさとは(過去日記より)
過去の日記を読んでいたら、良作が見つかってしまった。というわけでブログ掲載。
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宇宙兄弟最新刊を読んだ。
(宇宙飛行士の兄弟ムッタと日々人の話)
そのなかで一番響いた言葉がある。
「優しさに気づくことも、また優しさ」
今まで、ポルノの2012sparkの歌詞にある
「優しくなりたければ強くあれ」
を頼りにしてきた。私は、周囲の人にとても恵まれた。嫌なことを言われるときもあったけれど、皆私のような人間を受容してくれた。私もそれを返したい。優しくなりたい。そのためには強くいないといけない。そう思っていた。そうやって虚勢を張り続け、傷ついた。歌詞を誤認していたのだ。
(参考までに)
しかし、今日読んだ『宇宙兄弟』。ムッタが自転車のライトが壊れた日々人の足元を自らのライトで照らし、それに気づいた日々人は速度をゆるめた。それを見た二人の父は前述の言葉を述べ、二人なら月のミッションを果たせると背中を押した。
読んでいて、涙が零れた。「優しくなるためには」と考えること自体が、優しさなのだ。確かに私はたくさんの人に甘えてわがままを言ってきた。しかし、そこまで嫌われているようには感じない。恐らく、私は自身のわがままを理解して、その上で感謝と謝罪は欠かしていないからだ。
優しくされたからと言って何か返さないと、と慌てるのではなく、感謝と謝罪を重んじたい。それがまさに、優しさのお返しなのだから。そうやって素直になることが、強さの秘訣なのかもしれない。そう思わせてくれた宇宙兄弟には、感謝してもしきれない。
そして、ポルノグラフィティの歌詞に出会っていないと、私は優しさについて突き詰めることもなかったし、宇宙兄弟によって誤認だと知ることもなかった。ポルノグラフィティは常に私の根幹にあると再確認した。