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走ることについて語るときに私の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2010/06/10
  • メディア: ペーパーバック
 

無限に積み上がる、心中の積読(読みたい本リスト)のひとつ。「走ること」と「村上春樹」の融合。どちらも私の大好きなもの。絶対に面白い。読みたい。

 

では本題へ。中高と陸上競技や駅伝に熱中していた私には、何度も尋ねられた質問がある。「どうして走ることが好きなの?」今回、その回答を、私の思い出と共に語らせていただきたい。

 

結論から言うと2つ。「人の心を一番動かせるスポーツであるから」「初めて「人」ではなく「自分」目線になって努力できたものだから」

 

始まりは小学校一年生。当時、母の勧めにより運動クラブに通っていた。練習の一環として、メンバー全員で体育館の周辺を走っていた。スピード強化の日は一周、持久力強化の日は三周。着順は、一周の日は下から数えたほうが早く、三周の日は常に一位。母や先生曰く、「一周の時と三周の時で、走る速度が全く変わらない」そうだ。

 

その五年後、運動会で800ⅿ走に出場した。選考会の末決まった出場メンバーは、私含むバスケットボール部全員と他数人。バスケットボール部の皆は本当に速かった。私は、部員以外には負けたくない。いや部員にも勝ちたい。そう考えて走り始めた。後半に差し掛かり、バスケ部が群を抜いていた。私はその一番後ろ。しかし、前を走っていた部員の一人が遅れ始めた。ラスト一周の後半、私はそこに食らいついた。彼女も負けず嫌いなので、私に気づいてペースを上げた。私たちは、勝つか負けるか予想できないデットヒートを繰り広げた。特有の喉の痛みや周囲の声援を感じつつ、疲弊しきった身体に鞭打ち脚を回した。その結果、私は彼女を追い抜いた。球技や短距離が苦手で、体育の授業では常に劣っていた私が、運動の楽しさを知った瞬間だった。

 

その後家族のもとに向かった。普段泣くことのない家族が私の走りを見て涙を流していた。走ることがここまで人の心を動かすことができるのかと驚いたことは、一生忘れないであろう。

 

大きな転機となったのは中学時代。球技が得意でないことを痛感してはいたものの、私はまたもバスケットボール部に所属していた。先輩方がとても強かったので、練習はハード。夏休みには練習後に4㎞走ることが義務付けられていた。その際だった。私は県トップレベルの先輩方と張るか、追い抜くくらいに走れたのだ。それを見ていた体育の先生に、翌年に駅伝メンバーに選出していただいた。夏休みに毎日30分運動場を走り続けたのち、3~4㎞のジョグ。過酷ではあったが、その年の市中体連では4区、3年次の市中体連では1区、県中体連ではアンカーとして走り、上位入賞に貢献できた。バスケの際には常にチームの足を引っ張っていたが、駅伝ではチームに貢献。スポーツで何かに貢献した経験は初めてだった。

 

陸上と勉強に打ち込みたいと入学した高校では、友人の誘いもあり合格発表の翌日から陸上競技部に入部した。友人は私の人生の中で一番熱く努力家。のちに彼女が長距離ブロックのキャプテンとなった。私は彼女を慕い尊敬しつつ、いつかは越えたいと闘志を燃やしていた。彼女も同じだったであろう。「駅伝では二人で1区とアンカーを努めよう。」部活後下校している際によく話していた。彼女の存在はもちろんではあるが、一番は自分の記録更新。そのために練習で手を抜くことは一切なかった。休みである日曜日やテスト期間も欠かさずランニングや筋トレに励んだ。「人を喜ばせたい」という気持ちが大きく、常に人のことを考えて行動していた私だったが、陸上競技によって主体的になることを学んだ。

 

忘れられないのは高校1年の県高校駅伝前のタイムトライアルで4㎞区間を走ったこと。2~3㎞や3~4㎞のラップタイムも、1000m走として走るときよりも速い時間を記録した。つまり、異常なほどの好調。4㎞どころか、無限に走っていたい。どこまでも走りたい。きついけれど、それを突き抜けて気持ちいい。黒子のバスケで言う「ゾーン」、ランニングの用語で言うなら「セカンドウィンド」を経験した。あれほどに気持ち良かった走りは、もうない。

 

迎えた県高校駅伝。タイムトライアルでの走りが認められ、4㎞区間である2区に選出された。コースは益城空港線。長い登り坂を延々と登るコースだった。田舎道であるはずなのに、沿道にはすごい数のお客さんがいた。保護者だけでなく、駅伝ファンも。私や私の高校のことを知らないけれど、たくさんの声援をいただいた。ユニフォームに書かれた学校名を見て、色んな略し方をし、檄を飛ばしてくれる方々。小学校の頃に感じたことを再確認した。たくさんの人が、私の走りに心を動かしている。長距離走よりも人の心を動かすスポーツは、決してないであろう。

 

走ることを通して、ここには書かなかったがたくさんの苦痛もあった。高校時代は頑張るほど怪我や病気に苛まれ、体重が増加し中学の記録を越せなかった種目もある。しかし、他の誰でもなく私のために努力し、それを通し人の心を動かせる。こんなに楽しいことが他にあろうか。そう思わせてくれた「走ること」は、一生大切にしていかなければならない。